ぽかぽか南紀で母娘のんびり暮らし

ずっと一人暮らしだった母がいよいよ一人暮らし難しくなったので,在宅介護をしつつ故郷に帰ろうと決意した放浪娘(いい年)のエッセーブログ

母倒れる

午後6時ころ,いつもは電話してこない母から電話があった.そのとき,私は研究発表会に出席しており電話に出られない.「今,電話出られません.どうしましたか」とメールで返信したが,何も返事がないまま30分ほどたった.なんか変だなあと気にしていたら,次は兄から【母,体調悪く救急車を自分で呼べないので,こちらでよびます】的なメールがきた.


驚き,急いで教室を出て母と兄に電話したが,つながらない.二人で電話しているらしい.何度かトライして,母とつながった.息も絶え絶えな状態でこれは異常であると察知した.救急車を自分で呼ぶのかと聞いたら,「よべない」という.こっちで呼ぶといったら「でも,よんだら入院せなあかんやろ」と,入院を面倒がっている.そういう問題ではないので,こっちで呼ぶからと言って電話を切った.


母の住んでいるところは和歌山県,私と兄がいるのは県外.そのまま救急車を呼んでも母の住んでいるところの救急車につながらないのでどうしようかと考えたがとりあえず,119番.「火事ですか,救急ですか」と聞かれたので,「救急です.でも,県外です.一人暮らしの母の具合がおかしいので救急車を呼びたいのです」というと「ここは〇市消防局なので,そちらの消防署に直接かかる電話番号をしらべます」と言ってくれて,すぐ電話番号を探してくれた.そして急いで母の居住地の消防署に電話をかけた.どんな状態ですかと消防署のオペレーターさんにきかれたので,一人暮らしの母が今誰もそばにいないので詳しくわからないのですが,腹痛がひどくて,腸閉そくの可能性があるので行ってほしいのですと答えた.家の鍵が開いていないかもしれないけど,お勝手口があることを伝えた.


兄が母に電話をしている間に救急車の音が聞こえてきたそうだ.
その後,母は市内の医療センターへ搬送された.消防署から,医療センターに搬送されたので病院にいつ頃家族が到着するか伝えてくださいという連絡があった.
特急なら2時間半.電車があるのか調べたら,ぎりぎり最後の特急があった.それまでの間,市内に住むいとこに行ってもらうことにした.といってもいとこの連絡先は聞いていなかった.でもちょうど2日ほど前に母あてに市から避難時要支援者の登録の手紙が来ていて,市内に住む避難に協力してくれる人をいとこにして連絡先をかいて返送したところだったので,市の地域包括支援センターに電話して,その返信手紙を探してもらえば連絡先がわかる,と思い電話したら,5時過ぎて業務時間が過ぎていたにもかかわらず電話に出てくれて連絡先を探してくれて親戚に連絡してくれた.


特急に飛び乗って,故郷へ.夜23時過ぎに駅に着く,そこから医療センターまでどうしようかな,とぼんやり考えていた.神父様にこのことを話して,一緒に行ってもらおう!と思いついて,電話したら,ジョー神父様がすぐに電話に出てくれた.「母が入院したので今から帰る」といったら,「OK!何時につきますか,駅に迎えに行きますよ!」って神父様.神父様,何も詳しく聞かなくても必要なことをすぐに気づいてくれて助けてくれた.そして,駅に着くと,いつもの神父様の笑顔.それだけで,今の厳しい状況がしっかりした柱に支えられたように心の動揺も悲しみも焦りもなくなった.不思議とこの状況が全然怖くない.神父様と一緒に病院へ行った.いとこがそばについていてくれた.神父様は病室で母のために祈ってくれた.その間に私は呼ばれて医師から状態を説明された.CT検査や血液検査の結果を見せてもらいながら,原因は不明が高度な便秘によるイレウスとのこと.


夜中の12時は過ぎていた.いとこは急に呼ばれたけど快く来てくれた.ありがたい.
神父様は,4人部屋と知らず大きな声で祈っていたけど,途中で気づいて小声で祈っていた.医師の説明を聞き,いとこが帰り,病室に行ったら母が弱弱しく寝ていた.また明日来るから,と言って神父様と一緒に病院を後にした.神父様に実家に送ってもらった.


夜,一人でこの家で寝るのは初めてだった.
布団を出して,寝た.
でも眠れない.祈った.
母と一緒に過ごす時間を作ろうと思っていたのに,それがかなわないのだろうか.
そうだとすると,父,母亡きあと,何十年も生きていくのはつまらない.
だったら,私の命の半分を母にあげてください,そうして,母と暮らす時間を下さいと祈った.


父が亡くなったときは私は高校1年生.
その時も祈った.
いろいろ祈った.
その時々の思いで祈った.
何も答えてくれなくてもいいから,いるだけでいいから,命をつなげてくださいと祈ったり,父の苦しむ様子を見て,命をつないでほしいというのは私のがままでした,もう苦しまないように天に召されても私は我慢しますから苦しませないでくださいと祈ったり・・最後は,どうでもいいから神様がいいようにしてください,私には何がいいのかわかりませんと祈ったり.


父が亡くなり,今まで,たぶん,ずっと喪失感は続いている.喪失感というより喪失.感情とかではなく,喪失ということによる様々な影響.その喪失による欠落を埋めることができなかった.欠落を埋めるために,もがいてみたが,結局埋まっていない.
肉親の死は避けられないことで,それを経験しない人のほうが少ないだろう.
そのみんなが同じように喪失に苦しんでいるのだろうか.この苦しみに癒しが来るのだろうか.自分の死が来るときようやく癒しが得られるのだろうか.胸に刺さったままの棘を抱えてずっと生きている.